文章がなんか書きたくてここ数日のツイート量がいつもよりちと多い

 dgsのレポートのネタでエモいってなに?って話題が出てこの間気づいた「夜中喉が渇いて起き上がり真っ暗な部屋の中お茶を出して飲んでるときに目に差し込んでくる冷蔵庫の煌々としたあかり」を即答してしまった 我ながら流暢に喋ったと思う

 

 正直一人暮らしを始めてから無駄に感受性が上がってしまったというか、エモいとかそういう系の感情がクる瞬間がわかるようになった気がするんですよ それは私が多少、金銭的にはまだまだだけれど自立した人間に近づいた足跡なんだろうと思っていたのですけど多分それだけじゃなくて、僕は多分周りの人間に少なからず感情を任せていたんじゃないかなあという見解が生まれておりまして

 

 エモいにしたって周りがまずエモいというからへえ、これがエモいってやつなのかあとピンと来ているようなそうでないような反応をしていたのは人にエモいって感情を持ってもらっててそれを見ることで感情を発生させることなく観測して満足してたのかなあと 日本語はよくわかんないです 感情の肩代わりなんですかね、なんでそんなことをしていたのかもわからない

 

 今になってやっとエモいってのがどんなことなのかわかってきている気がします 冷蔵庫の例もそうだし金木犀の香りと文化祭直前の夜のお祭り気分な帰り道、プロメアを初めて見た後鼻歌でED前奏歌いながら飛ばした夜のサイクリング、電車で遠くまで来て全く知らない土地の住宅街とか商店街を音楽聴きながらうろつく休みの日、BUMPの曲、米津の絵と曲、大人になってしまった子供の坂本と大人にまだなりきれてない子供の西郷が乗るボート、目の前が揺れるような暑さの中悪友と生ぬるい会話をしつつ電車を待つ新宿駅のホーム

 

 

 

 

 

 

やべえまだまだ出てくるけど自重でしょこれ そろそろ痛くなってきた やっぱこれでレポート書こうかなあ 書けるわあ カルタ作れるな てか中高時代の思い出がデカすぎる どうしてこの世はサザエさんループではないのだ

 

よく高校から大学へ行って新しい交友関係ができる話を読んではそんなに人格変わって昔のこと忘れちゃうのは薄情だよなあって思っていたけれど本当にそうなっちゃうんだなあ、おれは大学に行ったって高校の奴らとなんだかんだつるめるとおもっていたけれどいつのまにかみんなはみんなのコミュニティができて時々会ってて、それをおれはSNSで観測するしか無くなってしまったし遊びたいやつは連絡つかないし、そうなる運命なんだろう 孤独死なんかはしないだろうけど一生学生時代の思い出にぶら下がって俺は生きていくんでしょう じんせい…